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アヘン戦争の結果、上海は1843年に通商港として対外開放し、租界が生まれました。西欧風の建築や電信、鉄道、印刷などの近代技術が流入し、貿易に従事する中国人も多数集まり近代都市の発展を見ました。こうした新事物を画題として「年画」が大量に生産されました。また新奇なものばかりではなく、中国庶民のために生活用の民間版画や伝統的な芝居や戦争のニュースなど、年画はあらゆるテーマを扱い、近代都市の横顔を発信したのでした。「旧校場」は通りの名前です。開港以前からある県城内に位置し、民間版画工房が軒を並べていました。
講師:三山 陵(みやま りょう)
(首都大学東京非常勤講師・日中藝術研究会事務局長)
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