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講師紹介:
 石果氏は1953年、西安市に生まれました。17歳のとき、父親である石魯氏から中国の伝統的な書画を学び始めました。1977年、西安美術学院国画系に入学し、1982年に卒業しました。1982年から1985年まで、西安市文化連盟で美術担当幹事を務めました。1985年に広東省珠海市文化連盟に招聘され、珠海画院の設立に携わり、同年に中国美術家協会の会員となりました。1986年から1989年まで珠海画院の付院長を務め、1994年に珠海市美術家協会に移り、美術協会理論部主任兼「珠海美術報」編集長を務めました。1995年には自由な画家として転身し、1年間の研究のためにアメリカに渡りました。1990年代以降、中国の現代の「実験水墨」アートの研究と創作に従事し、この画派の創設者の一人となりました。2004年からは西安美術学院国画系で「実験水墨」の授業を担当しています。2004年には北京理工大学珠海学院の芸術教育研究室主任として副教授に就任し、同年には「2004年珠海年度文化人物」に選出されました。2005年から2016年まで、北京理工大学珠海学院で教授を務め、デザインと芸術学院の院長を務めました。2016年に退職し、現在は自由なアーティストとして活動し、後果山人、八達山人と名乗っています。
 
講義内容:

 「関心から集中へ」
—— 一生をかけて独自の芸術信仰を修行する
 
一、関心と選択
 芸術において、30代半ばには達成感が得られず、迷いや漂流が常態であることが多いです。

 悠久で権威ある芸術史は、あなたの脳内に記憶として蓄積されているか、あるいは流行の断片が常にドーパミンを誘発し、あなたを魅了し続けていることでしょう。

 時が過ぎる中で、関心を持ち、思考することができなければ、選択もできず、そしてその後の「40歳で迷わず」という境地には至れません。

 私の遅ればせながらの関心は、37歳の時に芽生えました。それは、荒廃した、欠けた、形而下の「塊」に対する強い興味から始まりました。そこから、私は一度も迷うことなく、その遺存を探し求める旅に出ました。

二、耳に心に従う
 「有」と「無」、「知」と「捨て」、「浮」と「潜」、「記憶」と「忘却」、「熟」と「生」、「実」と「虚」……。これらの対立する事象の極端な相対性と転換は、芸術と人生の難題です。

 対立が共存する中での変換こそが、「集中」の世界に入る過程です。その後、「集中」は徐々に「独自の芸術信仰」を持つようになります。

 「独自の芸術信仰」が育まれる過程で、世俗的な「立ち位置の私」や「迷わざる私」、「命を知る私」などは、まるで風に吹かれて消え去るかのようです。そして、「耳に従い心に従う」(孔子曰く:「60歳で耳に従い、70歳で心の欲するままに行動し、限度を越えない」)修行によって「虚無の私」が生まれます。

 これ以降、私が絵を描くのではなく、絵が私を描いているのです。

 
 
時間:

2024年10月21日(月)午後15:00~17:00

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