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講師紹介:
 
 高小飞(こう しょうひ)、号博健斎(ごう けんさい)、後花園主(こうかえんしゅ)、1963年中国北京生まれ、1987年に日本に渡る。現在、全日本華人書法家協会会長、中国文武学院学院長、日本華人文連常務副会長、海外王雪涛研究会副会長、日中詩詞協会副会長などを務める。

 高小飞(こう しょうひ)は、幼少期より伝統文化に深い愛情を抱き、特に詩、書、絵画、伝統武術に魅了されてきました。これまでに、鄭誦先(てい しょうせん)、萧労(しょう ろう)、金禹民(きん うみん)、黄高漢(こう こうかん)、康伯藩(こう はくはん)、段大愚(だん だいぐ)などの名家に師事し、古詩文、金石学、書画などを学びました。また、現代書画家である徐之謙(じょ しけん)、劉博琴(りゅう はくきん)、啓功(けい こう)、李苦禅(り くせん)、王森然(おう しんぜん)、許麟庐(きょ りんろ)、王雪涛(おう せつとう)、康寧(こう ねい)などからも指導を受けました。

 その作品は海外の多くの芸術機関に収蔵されており、毎年、日本華人書法家協会の仲間たちと共に協会展を開催しています。著作には「髙小飞書法作品集」、「漢唐遗韵笔墨佳情」、「杏雨樱风」、「天涯共此心」などの専門書や書籍があります。

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1977年、北京市少年書法大会で第一位を受賞し、文化大革命後に北京の榮宝斎で開催された初の書法大展にも参加しました。
1988年からは、読売文化センターや文化芸術学校、文化会館などで書法、篆刻、中国武術などの授業を教え、文武両面で日本社会に中国の伝統文化を伝えました。また、詩、書、印章などの芸術講座を開講し、学びに来たさまざまな業界の人々や学生に恩恵を与えました。
2004年には、西泠印社の創立100周年記念書法篆刻評価展に参加し、海外参加者として篆書の優秀賞を受賞しました。これは日本から参加した最初の篆書の優秀賞受賞者でもあります。
2007年には、中国文武学院を創立しました。
2019年12月には、東京の中国文化センターで「漢唐遺韻、筆墨佳情」と題した個展を開催しました。
2020年9月には、韓国・ソウルで開催された「第26回BESETO中日韓三国展」に参加し、社団法人韓国美術協会から優秀賞を授与されました。
 
 
講義内容:
 
 「印」という言葉が広く使われるようになったのは、秦の時代に始皇帝が中国を統一し、文字や文章、車輪(轍)の規格、さらに度量衡を統一するよう命じたことがきっかけである。そこでは、特に重要なのが、「印」に関する制度です。統一以前は「印」とは呼ばれず、「璽」と呼ばれていた。また、その形式も統一されておらず、多種多様でした。多方の研究によると、これらの形式はメソポタミア文明の影響を受けて形成された可能性が高いと考証されている。

 始皇帝は東方六か国を全滅し、「璽」という単語を独占するようになり、文武百官が使用するものはすべて「印」とされました。また、「印」はその形状において官用と私用の区別があり、この制度は現在まで受け継がれている。

 「印」制度は日本にのみ残され、中国は最後の皇帝「ラストエンペラー」以降は消滅し、印制度や印文化は基本的に日本に残された。

 篆刻芸術は秦の統一する以前の「璽」とその後の「印」、及び青銅や彫刻石といった文化を研究し、それを模刻するようになった。従来の工匠による銅や玉の加工技術を廃し、寿山石や青田石といった柔らかい素材を用いて創作するようになり、明清時代に書道の一分野としての「篆刻」芸術が確立され、現在までも伝えられています。この篆刻は主に書画、収蔵、書簡のやり取りなどに使用され、その最大の意義は、篆刻作品そのものが洗練されている文化的・芸術的価値である。

 この講座は創造プロセスを手順にして会員を自分の製作品を作らせるように。

 篆刻の学びは遊印から始まり、成語印とも呼ばれている。漢印の模倣は通常、成語を題材とした印から始め、その原因の一つには内容が統一されており解説しやすいこと、もう一つには実用的で、時代遅れにならないこと、誰の手に渡っても役立つ印となるのが特徴である。

 

 
時間:
 
2025年1月15日(水)午後15:00~16:30

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