ご挨拶
七千年前に河姆渡人が竹制品を使ったのを皮切りに、中国人は竹と縁を結んだ。
竹は中国では君子とみなされている。「竹色君子徳」、古人癡・竹如命、以竹追思君子、竹如見君子。竹は中国で、植物界の清流であり、竹の色は四季折々によって変わらないし、その数が多くなってきたら空を覆うことさえもできる、観賞性と実用性を兼ね備えている。冬と春の竹は得難い食材であり、中華の飲食文化を極めて豊富にした。竹はすらりとしていて、生活や労働の道具や芸術の材料である。中国では「竹文化」ということがある。それは中国人の衣、食、住、行、娯楽に浸透したり、文学、音楽、絵画、宗教、民俗、園林の跡に浸潤したりしている。
展示作品
(一)苍翠静怡「竹の境」
中国の浙江省安吉、貴州省赤水、四川省宜賓などの地で、1万ムーの翠竹が生えており、竹林が海になっている。
(二)空霊悠揚「竹の声」
「簫は長短さまざまな竹管で作られ、鳳凰の羽のように広がっている」。箏、築、笙、はんに至るまで、竹制楽器は絶えず中国民楽のメロディーを豊かにしている。
(三)久遠精深「竹の芸」
『詩経』に「淇水の奥地に、緑の竹林があって動物の奇声がする」の詩句から、鄭板橋、白居易などの名家にリードされて中国の長盛不衰の画竹、詠竹の風に至るまで、竹は中国の審美世界の中で永遠に輝いている。
(四)多種多様「竹の利用」
蘇東坡の「むしろ肉がなくて、竹がなくてはいけない」という感慨から、現代各類の竹製品の品薄に至るまで、千年余りの変遷を経て、竹の内包と外延は絶えず広がり、竹と一緒になることはすでに生活態度だけではなく、更に情愛になって人の心に深く入り込んでいる。
「流れがさらさらと竹林を揺らす」。今回の展示を契機に、竹の世界に入り、東洋の審美の中で竹の美しい境地を感じてみよう。展示の終わりに、竹と一緒に暮らしたり、竹を命のように愛したりする「君子」がいる。この「竹の使者」は一体誰だろうか?
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